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藤吉郎日記

いつも読んでくれてありがとうございます。山賊のサムライ「とうきちろう」のきまぐれ日記です。

カテゴリー別アーカイブ:山賊の昔話し

山賊のありかた

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山賊の考え方の根底の1つに地域貢献があります。

松下電機の創業者松下幸之助氏と一緒です。皆が困っている事は何かを見極め、それを助けるものを開発し、社会の役にたつ事が大事だと思います。たとえば昔でいえば、洗濯が手洗いの時代に洗濯機が登場した事により主婦が他の事に時間を使う事ができるようになりました。その繰り返しにより、その国の生産性は高まっていくと考えられます。

企業が社会に貢献できれば、利益を得る事ができ、社員に対して給料を支払う事ができるようになります。ここではやはり「貢献」という事が大切です。

わたくし達は飲食業ですが、やはり同じように何を望まれているか考えずっと実践してきました。山賊が利益のみ追求せずに貢献という考えのもと実践してきた成果が今の建物になって現れています。これからも本物の企業人になれるように精進していきたいと考えています。
投稿日:2009年1月22日 9:16 AM カテゴリー:山賊の昔話し

堀川町の「大学」

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昭和40年代に、広島の堀川町には山賊の前身となる「大学」がありました。今回、色々と資料を整理していると、その時のメニューブックを発見しました。貴重です~♪

料理は今は無いものがたくさんあります。

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おでんは10円~20円

串は10円~50円

瓶ビールは130円

昭和40年代の物価はよくわからないのですが、当たり前の事ですが、今と比べるとかなり安いです( ´∀`)

堀川町よりもっと前の昭和26年~40年は広島の的場で営業していました。通称「的場大学」と言われていました。50円あれば一杯飲めるというのがウリだったそうです。安くておいしいという事で人気がありました。

今後も出来るだけ安く良いものをご提供できたらと思います。
投稿日:2008年12月1日 12:41 PM カテゴリー:山賊の昔話し

「いろり山賊」の初期

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営業開始当初(昭和46年頃)は本当に小さな店で写真の囲炉裏周りの席とあとは数席のテーブル席だけでした。

ほんとうにこじんまりした小屋ですがどこか温かみが感じられます。これが「いろり山賊」の原点になります。

その後、だんだん裏側に店を拡張していき、いつのまにか大きな野外の席が沢山できてひとつの魅力として新たな「いろり山賊」が誕生していきました。

拙者は平日のすいている時間帯にゆっくりと雰囲気を楽しむのが密かに大好きです。
投稿日:2007年4月19日 10:20 AM カテゴリー:山賊の昔話し

「いろり山賊」開店の経緯

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昭和44年頃に広島から山口へ出てきました。これは皇牛料理の店「公卿七厘」を建設、そして営業する為でした。しかし建物の規模はかなり大掛かりでかなりの年数がかかります。

「公卿七厘」の建築中に通りがかりの車が「何があるのだろう?」と車を停めていました。

そうしているうちに、「何か食べるものはないか!」という声にゆで卵を販売しました。次には「飲み物はないか?」と声があったのでジュースの自動販売機を設置しました。

やがて沢山の方が訪れ始めました。「公卿七厘」の開店までには時間がかなりかかるので、「うどんでも売ろう!」と始まったのが「いろり山賊」です。今となっては貴重な昔の写真です。裏が畑だったようです。拙者も知りませんでした・・・(;^_^A

今となっては一番の人気店になっています。
投稿日:2007年4月13日 8:47 AM カテゴリー:山賊の昔話し

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